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あああ
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責任
第39条
心神喪失者の行為は、罰しない。
心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。
第41条
十四歳に満たない者の行為は、罰しない。
今回は犯罪を構成する要素の一つである責任についてです
構成要件に当てはまり、違法性があると判断された場合、責任を問える状態にあるかを判断されます。具体的には、上記の心神喪失もしくは心神耗弱の場合、や13才以下の場合です。
心神喪失とは、行為の違法性を理解する能力(事理弁識能力)を欠いている、または自分の行動を制御する能力(行動制御能力)を欠いている状態です。
心神耗弱(しんしんこうじゃく)とは、事理弁識能力や行動制御能力が低い状態です。この場合、少しは責任があるとされ、減刑となります。
ここで問題となる場合は、わざと心神耗弱状態にして罪を犯した場合です。
この時、行為自体は、心神耗弱状態で行われていますが、これを減刑にするのは、道徳的に納得がいきません、さらに法益保護にも反します
そこで、間接正犯の考えがでてきます
間接正犯とは、首謀者が無理やり他人を脅したりして、その人を道具として犯罪を犯した時、首謀者をその罪の正犯(実行行為をおこなったもの)であるとすることであり、この場合、心神耗弱状態の自己を道具として使ったと考えるのである(間接正犯類似説)。しかし、耗弱状態の自己はわずかながら責任があるため、これを道具というのには無理があるともいえます。
39条の規定では、心身喪失、耗弱の状態と行為を同時にみていますので、(同時存在の原則)それを一部修正して、責任能力のある状態での意思で、心身を喪失し、犯罪に至ったまで、故意が継続しているので、完全な罪責をとうことのできるとする同時存在の原則修正説もある
これも難しい内容ですが、社会的な道理と照らし合わせて、合理的な説を考えてみましょう
違法性
違法性とは、行為が社会の法秩序に反することをいいます
構成要件は、形式的、類型的な違法性判断であり、違法性推定機能を持つから、前提的に、構成要件を満たすものは違法であると考え
、そこから、違法性をなくす条件(違法性阻却事由)があるかを判断するのが、この違法性の判断になります。
①結果無価値論(法益侵害説)
悪い結果(法益の侵害)がもたらされた時に違法であると考える
結果無価値とは、結果に対して客観的かつネガティブな価値判断をくだすことをいいます。よって主観的な事情は排除されます
②行為無価値論(規範違反説)
結果のみならず、悪い行為自体をも違法であるとする。
これは社会的な倫理観に着目することから、行為者の主観的事情を考慮することになる。
正当防衛などの考えは行為無価値論の主観的事情を考慮したものになる。
これら両者の説を積極的に加味して判断することが妥当とされる
過失
- 第38条
- 罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。
- 重い罪に当たるべき行為をしたのに、行為の時にその重い罪に当たることとなる事実を知らなかった者は、その重い罪によって処断することはできない。
- 法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない。ただし、情状により、その刑を減軽することができる。
前回の「故意」についての話にも出てきた刑法38条ですが、その中の、第一項目には、罪を犯す意思がない行為は罰しないとあります。つまり、故意でなければ、犯罪ではないことになります。これが刑法での大原則になります。ですが、ニュースでよく聞く、業務上過失致死や、自動車運転過失傷害なんてものは、意図せず行われるものです。ここで出てくる過失が、刑法での例外、第一項での特別な規定となります
不注意によって作為、不作為を行うことを過失といいます。
※作為不作為については、実行行為のページを参考にしてください
過失は注意義務違反であり、注意義務があり、その注意を怠ったことが過失の成立条件になります。
過失については、人権保障の立場から、その処罰する範囲を合理的な範囲に限定する必要があり、次のような学説があります
①旧過失論
過失を故意と同じく、精神的な状態であるとして、同じような責任義務として捉える。その内容は、予見可能性を前提とした結果予見義務である
②新過失論
結果予見義務のみならず、結果回避可能性を前提とした結果回避義務である
過失は構成要件の要素とする
③新々過失論
結果の予見可能性を不安感や危機感で足るとするもので、予見可能性の範囲を広げたものになる
以上です。こちらも、たくさん学説があってわかりづらいですが、名前は簡単なので覚えていきましょう
故意
それが実行行為に当たり、それによって構成要件的結果が発生することを承知で行動することを故意による行動という
さらに、刑法38条により、故意のない行動は、罰せられない
つまり、故意でなければ他人のものを壊したとしても、刑法では罪にはなりません
しかし、これでは問題が生まれます
1.具体的事実の錯誤
同じ構成要件に当てはまる犯罪を犯すが、その具体的内容が違っている場合
2.抽象的事実の錯誤
違う構成要件に当てはまる犯罪を犯してしまった場合
3.客体の錯誤 ex.人違いで殺してしまった
4.方法の錯誤 ex.そのとき偶然、違う人を殺してしまった
※1,2に対してそれぞれ3,4の分類がある
このような錯誤において、認識した事実と現実が違っていた場合、故意が認められず、不当に刑が軽くなってしまうことがあります
例えば、AさんがBさんを刺そうとしたら、思わずCさんを殺してしまった場合(これは、1の具体的錯誤であり、4の方法の錯誤になる)、Aさんが殺そうとしたのはBさんであり、Cさんを殺したのは故意ではないから無罪となる。
これはあきらかに道義的におかしい
よって1の具体的錯誤に関して次のような解釈がなされる
①具体的符号説 →これは先ほどと同じく、認識と現実が一致しないと故意を認めないとするもの
ただしこの場合、3の客体の錯誤の場合、その場にいた誰か(本来の目的とは違っていても)を殺そうとしてその場にいた誰かを殺しているため、具体的な認識と結果の対象が一致しているとみなされ、罰せられることになる。
4の方法の錯誤の場合は、その場にいて狙った人を刺したわけではないので、故意は認められない
②法定的符号説 →これは法定の構成案件が一致するならば、認識した事実と異なっていても、故意を認めるとするもの
つまり、人違いであれ、その客観的構成要件は同じ(殺人)であるため、故意を認めることになる。この場合、客体の錯誤であっても、方法の錯誤であっても故意となり、殺人が認められる
次は、2の抽象的事実の錯誤について話します
このとき、例えば、AさんがBさんを殺そうとして、ナイフを誤ってBさんの飼い犬に刺してしまった(こんなことがあるのかはさておき)とき、先ほどの法定的符号説での、構成案件が一致しません。
よって抽象的事実の錯誤の場合、
①抽象的符号説
罪を犯そうとして、行動をしている以上、結果がどうあれその人の社会的な悪さは、自明であるとして、想定していたよりも軽い罪の場合には、異なる構成要件であっても、故意を認める(刑法38条2項による)
②法定的符号説
保護するものと行為の実質的な重なりがある場合には、重なり合う範囲での軽い罪の、故意犯の成立を認める
ここでは殺害という点では一致するものの保護するものが、犬(人の財産とされる)と人の生命であるため、保護するものが異なるために、故意が認められないことになる
以上です、少し複雑ですが、次の過失とあわせて覚えておきたいところになります
関連法
第38条
1.罪を犯す意思がない行為は、罰しない。 ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。
2.重い罪に当たるべき行為をしたのに、行為の時にその重い罪に当たること となる事実を知らなかった者は、その重い罪によって処断することはでき ない。
3.法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかっ たとすることはできない。ただし、情状により、その刑を減軽することが できる。